千葉県勤労者スキー協議会(以下「千葉スキー協」という)は1980年5月31日、千葉中央コミュニティセンターで結成総会を開き結成されました。
 それまで、県下で全国スキー協に加盟していたのは「しらかばスキークラブ」のみでしたが、その後「ラッセル」、「常盤平」が出来、3クラブとなり、このことにより、千葉スキー協結成準備会が出来ました。
 更に「友の会」、「ブライト」とクラブ数も増え、この年の3月、五クラブの技術交流と研修会を兼ね、尾瀬片品スキー場で30余名の参加者を得て開催され、成功裏に終えました。その後 何度かの新日本体育連盟(現「新日本スポーツ連盟」)理事会と準備会の会議を経て、結成総会にこぎつけました。
 1980年全国スキー協調べでは、5クラブ100名、初級指導員24名、中級指導員1名となっており、しっかりした組織であったと思います。
 結成の年より、主催・新日本体育連盟千葉県連盟、主管・千葉県勤労者スキー協議会で新春スキーとスキー祭典への取り組みが始まりました。
 北志賀、尾瀬戸倉、戸隠とスキー場を変え、新春スキーの第6回から10回はバス3台の参加を得ました。
 1990年代になると、バブルの崩壊による社会情勢の変化、遊び方の多様化、会員の生活形態の変化など、色々な要因が考えられますが、クラブの活動も停滞し、参加者も減少しました。
 1991年頃より、新体連千葉県連盟主催でスキー教室と祭典を継続、会場を高畑スキー場(南会津)に移し、現地集合・解散としました。
 2007年、努力の甲斐あって、バス1台の参加者を得ました。この頃よりスキー協復活の機運が高まり、千葉スキー協結成準備会が出来ました。
 先に「華麗に滑ろうスキーの会」が単独でスキー協に加入し活動していましたが、その後、福田氏(栃木スキー協)等の支援を得て「素喜人」が結成されました。
 また、東京スキー協「てんとおむし」クラブの皆様、特に鈴木正之氏の熱心な御指導により、初級指導員に3名が合格した。
 2015年「スノーバレー」クラブが出来て3クラブとなり。そこで千葉スキー協の再結成となり、現在に至っています。

千葉スキー協について
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 全国勤労者スキー協議会(以下、全国スキー協)は、1969年2月10日に誕生しました。東京オリンピックを前後して、国民のスポーツ欲求がたかまった時期でした。会員がスポーツ活動の主人公として、スキークラブをつくりその活動の中で自らの欲求を実現し、人間的な成長をはかっていくという、新しいスタイルの運動体として発足しました。
 こうして発足した全国スキー協は、スポーツは国民の「健康で文化的な生活」(憲法第25条)にとって不可欠であり”万人の権利”であると宣言して組織された新日本スポーツ連盟(以下、スポーツ連盟と略す)のスキー部門の全国種目組織として活動をすすめ、2001年2月で32年を迎えました。
 全国スキー協は、「スキーの歴史的遺産を継承・発展させ、スキーを広く大衆のものとし勤労者の立場にたったスキーに対する正しい考え方、スキー理論とスキー技術の普及と向上をはかる」、その実現のために「広範なスキー関係者との連携と協力・協同をはかる」と規約に明記しています。
 このことは、スポーツは人間の発達、人格形成に不可欠であり、身体的、知的、道徳的能力を発達させるという価値や社会的文化的価値があることを明らかにし、国民の権利として保障させていくという活動の基本と、スキーの未来への展望を示すものです。

勤労者スキー協議会について